(  市)ルネサンスへ<2015-1120 「赤と白」



6:白色(シロイロ)。


とすると、この話の最初に戻って考えてみると、
つまり日本の、赤と白で象徴される色の世界。日の丸、
紅白まんじゅう、交通標識、運動会の帽子、歌合戦・・・等々。
この対照的で象徴的な色の組み合わせが意味するもの、
それは、なにかを区別し識別する象徴であり、
入ってはならない無意識の領域であり、
侵すべからざる神々の領域であり、警告標示である。
日本人の無意識の世界を支配する戒律なのである。

もしもそうしたもっとも大事なこと、不可侵で神聖かつ絶対的な原理、
自らの信仰の根源といったもの、あるいはそのオキテ、
戒(イマシ)めといったもの、そうしたことを何かの色の組み合わせで
表現するとしたら、まさしく、この赤と白がそれに最もふさわしい
ものに思えてくるのである。

それ以外に無いと思う。例えば、
白と黒も考えられるが、黒は闇を連想するし、
それは死であって、ふさわしくない。それに白も黒も本質は同じ色で、
ただ明るさの、有るか無いかの違いだけであって、
区別と警告の象徴には向いていないのである。
また、様々な場面で無差別に使える色でもない。
だからやはり、赤と白だ。

白は、この世のすべての色を含む色である。
どこにも、だれにも、何に対してもまんべんなく公平に、
無差別に照らし出す。そして、それぞれが何色かを見せてくれる。
それに反射して映しだしている。
そしてそれが何色(ナニイロ)なのか、ありのまま姿を見せてくれる。
そうした「色」が白色なのである。もっとも普遍的で一般的、
そして普通の色なのである。

太陽の光と同じで、同じ色で、生命が現実に生き、生きようとしている、
現実の色なのである。色眼鏡を透さないありのままの、直接の色である。
それは現実の色であり、人間が生きて暮らす現実の世界なのである。
だから、白という色は必要な色であり、そしてそれはまた、
すべてを優しく包み、覆うものでなければならない。
始めに、白という色がある、そういう色なのである。

 戻る。                 続く。

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