(  市)ルネサンスへ<2016-0219 感覚。



3:日常。


痛(イタ)い、かゆい、気持ちよい、あるいは、まるで夢のなかで
見るようなそんな、触れる肌のここちよい感触とか。
そのほかにも、理由もないのに楽しくなったり、イラついたり。
それとか、自分でも何がなんだかわからないまま、感覚が自分勝手に
ひとりでに巡りめぐって、目を開いたまま、夢の続きを見ている。

めざめたままで、なにかの幻覚を見ている。はたしてそれは、
観念の世界なのか、それとも現実の出来事なのか?
などといったことは、感覚にとって見ればどちらでもよく、どうでもよい、
なんらさしつかえない、もともと関係のないことなのである。

なぜなら、それは自分だけの世界なのだから。目を開いたままで、
自分の夢の世界を見ているのである。それは意識されることのない
感覚だけの世界、感覚という無意識の世界のなかで、感覚が一人で
何かを感じているのである。感覚が意識されないままで自分自身を
見ているのである。自分でも気づかないままで。

しかし、それでもやはり何かを感じている。まるで幻(マボロシ)を見る
ように。いつのまにか、知らぬ間に自分自身を見ている。
それはやはり、自分自身であるとしか言いようがないのである。
感覚が感覚を見ているのである。感覚が感覚自体で、
感覚に対して何かを感じているのである。しかし実はそうしたことは、
あらゆるところで見られる、あまりにも日常的な情景なのである。

 戻る。                            続く。

<ルネサンスへ