( 市)<ルネサンスへ<2016-0226 かすみの風景
3:いましめ。
では、いったい何を言いたいのかというと、つまり、実は、 そうしたことが感じにくくなっている、ということなのである。 人間というのが、自分の感覚器官とか、自分自身の経験といった ものをアテにしたり、信頼したりしなくなった、ということなのである。 そうした必要もなくなって、それがムダなことのように思えてくるのである。 そして、そうした自分というものに気づくことも、疑惑を感じることも なくなった、ということなのである。 人間が生きている景観とか、生活環境といったものが、コンクリートと アスファルト、そしてエアコンなどによって、自然から切り離されている。 自分の身の周りにあるものの、ほとんどすべて。 そして、自分自身のライフスタイルといったものもそうである。 自分自身の感覚や考え方、生き方や思考のパターンにいたるまで、 そうである。なにも気にしなくなっている。 そしてさらに、自分自身の経験や記憶といったものまでが、 それらすべてのことが、何も気づかなくなっている。気づいてはならない 世界を生きている。本来、自分自身に属するものであるはずの、 すべてのことが、だれか見知らぬ他人によって意図され、計画され、 お膳立てられた舞台の上で演じられている、そう思えてくるのである。 そうやってのみ、私たちは安心して生きてゆくことが約束される のである。そして、これこそが現実であり、世の中というものなのである。 そうした暗黙の了解、決めごと、戒(イマシ)めと約束の上に、社会は 成り立っているのである。これが世の中の仕組みというものなのである。 戻る。 続く。 |