( 市)<ルネサンスへ<2016-0226 かすみの風景
4:常識。
だからまた、たとえば「春かすみ」が、黄砂が原因であるかのように 思えてくるのである。テレビと新聞が、黄砂であると主張しているから である。それが、この社会の約束なのである。テレビとか新聞といった 権威が、「黄砂が原因」というならば、それは黄砂なのである。 黄砂であろうとなかろうと、関係なく、それは黄砂なのである。 黄砂でなければならないのである。黄砂であるはずなのである。 白でも黒になるし、黒でも白に見えなければならないのである。 実際には、だれもそこまで考えたりしない。 白でも、エライ人が黒といえば、黒なのであって、 それ以外にないのである。これが常識であり、正義であり、オキテで あり、社会のならわしなのである。大人(オトナ)になるということである。 私たちは、ずっと、そのように教えられ、しつけられ、鍛(キタエ)えられ、 あるいは褒められ、あるいはカタワにされたり、殺されたりしてきたので ある。自分の考え、自我とか自意識などといったものは、 持ってはならないのである。これが社会の法律であり、秩序であり、 前提なのである。日本社会、そして韓国・中国の際立った特徴 なのである。破壊的で自滅的な儒教倫理が支配する世界なので ある。 戻る。 続く。 |