( 市)<ルネサンスへ<2016-0226 かすみの風景
6:迷信。
それを、疑(ウタガウ)うということを知らない。 またそれを、自分で確かめようともしない。だからまた、外面(ソトヅラ) だけが求められて、限りなく極端な表情や仕草だけが強調される。 そしてそれに比例して、内面といったもの、自分の精神といったものが 限りなく虚(ウツ)ろで、ぼんやりしたものになってゆく。自分というのが、 理由のない存在のように思えてくる。だからこそ、さらにいっそう、外面 (ソトヅラ)だけが強調されてゆく。そうする以外に、自分を確かめる 方法が無いのである。 そうしたことは、たくさんあるというよりも、世の中自体がたいていそう なのである。自分自身の肉体の、感覚器官や体験、そして実際の 記憶から離れたところで、自分の感覚や意識、ライフスタイルが 成り立っているのである。見るもの、触れるもの、聞くもの、すべてが そうである。要は、ただ言葉の上でそうと知っているだけで、実際の ところは、なに一つ知っていないのである。 にもかかわらず、知っていると確信し、そうであると信じて疑わない。 そうした、架空の、迷信の世界を生きている。実際の現実とは離れた ことばだけの、理屈だけの世界を生きている。それでいて、自分 は 何でもよく知っていると思いこんでいる。あるいは、そう思い込まされて いる。エライ人の言うことはよく聞いているし、本もよく読むし、 教養番組もよく見ている。だから自分は、きっと正しいはずなのだ。 この世に生まれたときから、ずっと、そのように躾(シツケ)られていて、 それだけしか知らず、とっても素直(スナオ)なのである。 疑うことを知らない。 戻る。 続く。 |