( 市)<ルネサンスへ<2016-0226 かすみの風景
8:生きている。
「音」が生きているというのは、 つまり、人間の感じ方や暮らしの中から音が生まれてきて、 そしてまた、人間にとって聞こえてくる、ということなのである。 それ以外の音はもともと聞こえない。 人間の耳に聞こえる周波数帯は限られているし、また、 聞こえる音であっても、どうでもよいような日常の音は無視している。 聞こえているはずなのであるが、小さくなって、感じにくくなっている。 生きてゆく上で必要な音だけを、無意識の世界で選別して聞いて いるのである。 それに、「音」はなにかのキッカケとか理由、たとえば、 目に見えるものとか、肌に触れる空気の感触とか、 そういう他の感覚と常にいっしょになって聞こえてくる。 また、時間の流れの中の、物語の一コマとしても聞こえてくる。 たとえば、早朝の小鳥のさえずりとか、夜中の笛の音色とか、 他の感覚とか物語、そしてまた、揺れ動く心のあり方としても、 聞こえてくるものなのである。これが、現実の音なのである。 それとまったく同じことが、視覚や味覚、触覚や嗅覚にも言える のであって、あるいはまた、もしかすると、それ以外の未知の感覚も あるかも知れないし、そうしたことのすべてが常にいっしょになって、 アンサンブルとなって、直感やセンスとして迫ってくる。 そうした、人間の感情や情緒として、感じ方として見えてくるし、 聞こえてもくるし、感じられてくるのである。こうしたことが、まさに、 現実の「音」なのであり、見るもの、触れるものであり、 人間が現実に生きて暮らしていることの、たしかな証明なのである。 戻る。 続く。 |