(  市)<ルネサンスへ<2016-0226 かすみの風景



9:自意識。


暮らしが便利になって豊かになった反面、人間が直接に自分の
感覚を確めるといった機会が少なくなっている。ゲームやテレビや
スピーカーの架空の世界に生き、それを現実の感覚と勘違いしている。
たしかに意識の上では、それが架空のもので、現実でないというのは、
だれでもよく知っている。しかし、それを感じる自分自身の感覚
といったものが、なにか勘違いされているのである。

現実の音や匂いや、触れるもの見えるものは、実際に生きていて、
それらの感覚の一つ一つが、自分が生きているという、物語の一コマ
なのであり、そしてまた、それら五感が一つになって、自らの直感
となり、本能となり、個性となり、自分自身となっているのである。

肉体の感覚器官とは、そうした常に同一であり続ける自分自身で
あり、今、自分が生きているというのは、その延長線上に自分自身が
存在している、ということなのである。そうしたアイデンティティー、自己の
一体性・連続性といったものが、どこかで切断されて、見失われて
ゆくような、そんな気がしてならないのである。

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