(  市)ルネサンスへ<2016-0304 風景の記憶



2:カラダ。


たとえば、春の早朝の小鳥のさえずりは、やかましいというよりも、
可愛いらしい音色(ネイロ)で、冬が終わり春の始まりの空気の中、
そうした優しく暖かいおだやかな気温と、うるおいのある湿気とともに
やってくる。あるいは春カスミや、春の枝葉や草花の鮮やかな色を
伴ってやってくる。

そうした現実のなかで「音」は聞こえてくるし、
また、音の意味とか理由もわかってくるのである。また、だからこそ、
その音が可愛らしく聞こえても来るのである。春の訪れを予感させる
ものとしても、そうなのである。

だから、現実を離れて「音」だけを聞いてもわからないのである。
生きた現実のなかで、自分自身のカラダ全体でもって聞いて、
はじめて、本当の音が聞こえてくるのである。その音は耳だけでなく、
空気に触れる肌の感触や、うつりゆく季節の時間の流れの中から
聞こえてくるものなのである。

つまり、人間は自分のカラダ全体で音を聞き、ものを見て、触れて、
感じているのである。まさにこれが、生きた現実の感覚といったもの
なのである。スクリーンやスピーカーでは、本当の感覚といったものを知る
ことはできないのである。それは自分が生きている経験や記憶
そのものなのである。

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