( 市)ルネサンスへ<2016-0408 早春、
~3:指向性。
はたして、なぜそうなのかというと、そうした、移り行く四季の世界を 私たち日本人は生きている。だから、そう言えるのである。 他のいい方をすれば、そうやって自分自身を見ているのであって、 自分をたしかめ、自分を自覚するのである。 それは、日本人の無意識の世界なのである。 移りゆく四季の変化のなかに、自分自身を見ているのである。 移りゆく四季の変化のなかに、あきらめや忍耐、あるいは希望や あこがれ、たのしみやよろこび、悲しみといったものを感じ、そして見て いる。心の動きや感情の変化を見ている。そしてまた、それを予感し、 予測しながら、それに合わせて生きている。日本の自然と四季 そのものが、それを求め、誘い、示唆(シサ)しているのである。 そうした、心の変化と移ろい、感じ方や心の受け止め方が、 外の自然と一体となって、人間の感覚や生き方を支配している のである。それが情緒というものなのである。 情緒や情感、感情の起伏やリズムといったものがそうなのである。 鼓動する心臓の律動。呼吸する息の間合いや強弱。 体内を流れる血流の抑揚と起伏。あるいは、話す言葉のイントネーション、 そして顔の表情もまた、そうなのである。あるいはまた、 限りない欲望や、底なしの嫌悪感もそうである。 ふだんは意識されることのない、そうした自分自身のなかにある、 生理と感覚のあり方が、自分とそして人間を支配し、制約し、 条件づけているのである。そして、それが指向する方向もまた、 そうなのである。 戻る。 続く。 |