(  市)ルネサンスへ<2016-0429 風土、



~4:強制力。

人間の最も、ありのままの姿とは、それは自然のままの、
つまり、自然なままの出生を基にした自分の居場所であり、
生き方であり、上下関係である。いいかえると、統治と強制力の
あり方である。

思考を停止した世界では、自分というのを客観的に見ることが出来
ない。自分自身の考えや、自己意識といったものが存在しない。
そうした世界では、自分の生き方や考えといったものを決めるのは、
自分以外の者、すなわち「権威」であって、ほかの言い方をすると、
なにも考える余地のない、自然なままの上下関係といったもので、
すなわち、ここに家父長制に基づく王朝支配が現れる。
ヨーロッパ古代の王朝がそうである。そしてまた東アジア儒教世界が
そうである。現在もそうである。

ここに言うところの家長たる父親にも、本来の意味での、自分の考え
や、自己意識といったものは無い。それはすべて、権威に基づく他人
からの受け売り、コピーである。これが人々の頭脳の思考回路、
思考パターンのすべてなのである。だからまた、家長が家長たり得る
ためには、自分以外の者に権威の強制力を求めるしかなく、
それが、「帝(ミカド)」なのである。(日本では天皇といっている)

お上(カミ)に逆らうのは自分の親に逆らうのと同じであり、
それは同時に、自分の親に逆らのはお上にたてつくのと同じでって、
社会から排除され、そのシステムの外の人間として扱われる
それでも逆らうのは物理的暴力でもってシツケられる。
これがまさしく、社会というシステムの強制力であって、
その存続の必須の条件なのである。


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