( 市)ルネサンスへ<2016-0429 風土、
~6:神聖なもの。
帝(ミカド)とは、家父長のなかの父長、究極の家父長であって、 精神と物質的なものすべてが「帝」に集中する。なぜか? こうした社会では、自己意識といったものがないからである。 個人というのが、肉体として存在しても、 精神として存在していないからである。 人々は、自分自身の自己意識というものを他人に求める。 自分にではなく、他人たる「帝」に求めるのである。 その方がラク(楽)だから。自分で自分を生きて行かなくて済むから。 生きるも死ぬも、自分に責任を持たなくて済むから。 だからこうした社会にあっては、自己意識は、むしろ、 あってはならないもの、あるはずのないもの、わけのわからないもの、 社会の異物、不純な反社会的なもの、精神異常、社会悪として、 抹殺・矯正・隔離・追放される。そうすることによって、自分たちの 自意識といったものを、なにか神聖なものとしての「帝」のなかに 見い出しているのである。 戻る。 続く。 |