(  市)ルネサンスへ<2016-0513 霞(カスミ)の世界。



~3:異和感。

どうと言うことのない、あまりに当たり前の、どこにでもある、
日々の風景に、なぜそのような不可解で不思議な
異和感をいだいてしまうのだろうか?

それは、自分がそれを求めているからであって、
そして、それと同時に、それと同じくらいに、
風景がそれを僕に求め、導き、さそい、
そして指し示しているのである。いったい何を?
風景がそれを暗示している。失われた記憶を。
もうろうとした霧のなかで、現れては消えてゆく、
自分自身の記憶をである。

現実を生きている自分というのに戸惑い、驚き、
わけもわからず躊躇(タメラ)い、動揺しているのである。
現実のなかで自分というのを、見つけられずにいるのである。
それが、かすみの中の山々となって、映し出されている。

そしてもしかすると、かつてこの日本列島を生きた祖先たちも、
そのように感じたのかも知れない。それが意識の奥底で、
眠ったままで生きていて、そして、めざめの時のなにかのキッカケを
待ち続けていたのである。まだそれが、はっきりと見えて
こないのであるが、そうした何かを、祈り、願い、求め続けている
のである。

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