(  市)ルネサンスへ<2016-0603 春かすみ、



~7:無意識の反応。

自分というのが、自分のなかにあって、そこから自分の外へ出て行か
なければならない。しかし、それが何で、いったいどこで、何をしようと
しているのか、自分でもわからないのである。なぜなら、それはカラダが
覚えていて、カラダの都合でやっていることであって、それが何かを
意識してやっていることではないからである。

意識されることのないまま、カラダが自然にそうした方向性をとるので
ある。だから、それはまた、外の自然と一体になっている。外の自然
というものを五感で、カラダ全体と感覚全体で感じていて、そうなる
のである。何かを感じるということが、意識とか思考で感じているので
はなくて、感覚自体で、意識されることのないままで感じられていて、
同時にカラダが、それに無意識に反応して従っているのである。

そうした意味でそれは、感覚的で、生理的で、情緒的ともいえる。
雰囲気とか、空気とか、フィーリンングとでもいったものである。そうした、
独特の空気、情緒とでもいったものが春にはある。春にしかないもの
である。もちろん、そうしたことは、夏にも、秋にも、冬にも、それぞれ
にとっても、いえることなのではあるが。

 戻る。                          続く。

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