( 市)ルネサンスへ<2016-0617 続、ぼやける。
~5:無意識。
それはいわば、社会の型枠とでもいったものなのである。 そうした型枠、ないし、見えない壁の中の世界を、人間は生きている のである。サダメとかオキテ、シキタリとか作法、といったものである。 これと同じことを、より感覚的で身近なものとして言えば、無言の 圧力、場の空気、暗黙の了解、雰囲気とか身振り素振り、気配 などといったものである。 話がここまで来ると、もはや、「ぼやける」という目の見え方の話では なくなるように思えるが、けっしてそうとは言えない。「ぼやける」という 見え方には、もっと観念的な意味も含まれているからである。 そもそも、「ぼやける」という見え方からして、観念的なのである。 それを意識する、しないにかかわらず、人間というのは現実を、 ボカすものと、ボカさずにハッキリしたものとに、明瞭に区別して見て いる。つまり、多かれ少なかれ、人間の感じ方や考え方がそこに 入り込んで見ているのである。 そうした人間の、無意識の意識が、現実を見えるものと、 見えないものとに識別して見せているのである。もちろん無意識の 世界で。そうやって、身体の感覚やその生理といったものが最適化 され、様式化され、パターン化されて行くのである。 戻る。 続く。 |