( 市)ルネサンスへ<2016-0617 続、ぼやける。
~6:観念的映像。
だから、「ぼやける」というのは、目という感覚の感じ方なのではあるが、 それは同時に、意識されることのない観念の感じ方でもあるのである。 思考とか考え方が繰り返されて、それがパターン化されて、「型」に なって、無意識の習慣、ならわし、常識となったものである。 そしてそれが、いつのまにか、それ特有の無意識の様式(パターン)を 作り出しているのである。 だからそれは、あらかじめ仕組まれ、設定され、プログラムされ、 そして導かれ、方向づけられきたものと言える。つまり、それがまさしく、 世の中の仕組み(システム)であり、原理であるともいえるのである。 そしてそうしたことは、「ぼやける」という視覚に限らず、聴覚や触覚、 その他すべての感覚についても言えることで、感覚というのは、 そうした必要から形成されてきたものであり、そうした感覚の統合された 結果として第六感や直感、本能や衝動といったものが生成されて来た のではないだろうか。 戻る。 続く。 |