(  市)ルネサンスへ<2016-0617 続、ぼやける。



~8:選択。

もちろん、本人自身の主体性や自己意識に基づくものも
たくさんある。人間だから。もしもそれがなければ人間と言えない。
自分の考えや、自分の欲求や衝動といったものである。しかしまた、
だからボヤケているのである。見るのでも、見ないのでもなくて、その
中間の自分の意思、本人の選択にまかされているのである。そうした
意味でのボヤケるという状態なのである。

ボヤケた状態から、それをはっきり見えるようにするか、それとも、
ボヤケたままにするかということは、本人が決めることなのである。
しかし、たいていの場合、まわりとかエライ人(権威)にうながされ、
そそのかされて、自分の意思を考えないまま、他人に従っている
のであるが・・・。

だからある意味で、ボヤケるとは、自己意識を見ているとも言える
のであって、ぼんやりした曖昧(あいまい)な状態から、「出て行こう」
としているのか、「そのまま」でいようとしているのか、それとも、そこに
とどまって、ぼんやりした自分の内面をはっきり確めようとしているのか、
それらすべてが、自分の意思にかかっている、ということなのである。

 戻る。                          続く。

<ルネサンスへ