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そうやって、だれもがみな、たいていの大多数の者がシアワセに生きてゆけるのである。そしてこの大多数のことを「フツー」の人間と言っているのである。そうやって自分に納得し、自分を確かめ、自分の立場と居場所を見つけることができるのである。またそれを与えられ、認められ、許されてきたのである。 これが自分が生きている理由であり、自分が信じるもの、自分自身そのものとなっているのである。そしてこれがシアワセというものなのである。常識や社会の絆(きずな)といったものがそうなのである。 習慣やシツケ、それに自分たちの歴史といったものがそうなのである。そして、そこから離れたところに自分というのは存在しないのである。存在し得ないように出来ている。そしてこれが現実という世界なのである。 |
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