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6、象徴の世界。


現実とは、精神が現れ出る場所であり、また、この現実を通してのみ、精神は自分を表現し得るのである。そしてまた、この現実に表現されない精神といったものもまた存在しないのである。何らかのカタチとして現実に表現されている、というのが精神なのである。そしてそれが現れ出る場所が、自分自身の肉体なのである。

このような精神の実体、そして自分自身にとっての何らかの意味といったものを持たない空想といったものはあり得ないのである。そしてまた、このような空想こそが精神の営みや働きともなっているのである

そしてそうしたことは、何らかの記憶の痕跡として、あるいは意味不明の記憶のカケラや印象として、あるいはまた、それを示唆し暗示するものとして現実のどこかに現れている。得体の知れない何かしらの合図やサイン、象徴として人間の無意識の世界に入り込んできているのである。

あるいは、ありきたりの何気ない、どうでもよいような日常の風景の中にそれを見ている。もちろん、それと意識するといった事がないのであるが、しかしまた、そのようなものとして私たち人間を包み、いざない、コントロールし、あるいはバランスさせて、私たち人間の精神を支配しているのである。


戻る。                     続く。


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