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それは、心が閉ざされて陰にこもるとか、自分の中にこもって反省するとか、自分の内に向かって暗く沈んで行くような、そうした始まりの瞬間ではない。もしも自分を振り返るのであれば、こうした場合、「うっ」と息を止めて呑み込んで反省し、自分をかえり見ようとする。外に対してではなく、自分自身に対して反省しようとする。 しかし、「あっ」という場合、それはむしろ反対に外の世界と接触している。少なくとも警戒もせずにクチを開いて容認している。気分も意識も外の世界を見ている。あるいは少なくとも、外の世界に対してそうした態度を示している。そしてまた、外の世界を見てもいる。 だからこうした瞬間の気分といったものは、潜在的というよりもアクティブであり、外に対してあらわであり、暗いというよりもむしろ明るいのであり、内にこもって沈むのではなくて、そうした意味ではむしろ外に向かって開いているのである。自分の内にではなく、外の世界に向いているのである。 従ってまた、胸が開き、開放的・衝動的・行動的で、あるいは無警戒のままで自分でも意識されないまま、クチがほんの少し開かれている。あるいは、瞬間的にクチを大きく開けて、一気に息を吐くとともに止める。このときノドの奧から「あっ」という声が出て来る。 |
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