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6、あらわ。


「あっ」または「あー」という場合、あるいは、こうした母音としての「あ」に、何らかの子音が加わる場合もそうであるが、それは、自分にとってアクティブ(あらわ)であり、現実的であり、そしてまた自分というのが外を向いている。瞬間的に自分というのが外の世界と無意識に交流している。

外とは、自分にとっての異界であり、非日常であり、いまだ自分が知らず気づくことのなかった未知の世界である。目は開いて現実を見てはいるが、現実にないものを見ている。

現実というのがそうした不可解で違和感を持つものとして、自分に迫ってきている。ただし一瞬の、ほんの瞬(まばた)きするくらいの瞬間なのである。自分というのが、いつもと違う別の世界を垣間見ているのである。

おどろき、ためらい、当惑し、そしてびっくりしている。しかしこの場合のそれは、外に向かってあらわであり、表面的であり、心は自分の外を見ている。上向きであり下向きではない。閉じても、こもってもおらず、開いていて緩んでいる。自分の外の世界に対して直接何かを感じている。



戻る。                     続く。


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