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2、同類


だからこの場合の「理解」というのは、ころころと変わりやすい理屈や思考としてではなく、もっとより直接的で根源的な感覚自身の感覚として、身体内部の生理と情緒の作用として感じ取っているのである。

従ってまた、それは容易に、他人に対してもそれを強制し得る正義とか道徳と結びつく。それは、それこそが自分たちが生きている社会の、標準のタイプ・基準として思われているからである。だから、それに反するものが許せないのである。

自分が自分に対する感覚というのは、それ自体が自分たち、あるいはまた、同じ種、同類としての感覚だからである。また、そうでなければならないからである。そして、これが自分たちなのであり、自分たちという社会の中の自分なのである。



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