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しかし、それはそれで、自分でもうすうす気づいているのである。もちろん、その理由やワケといったものを良く知っている、という意味ではなくて、むしろ、そんな余裕などもともとないのである。生きて行くというただそれだけで、せいいっぱいなのである。 しかしまた、だからこそそれが、うすうす自分に気づかれてくるのである。理性や思考としてではなく、心情や情緒や気分のあり方として、自分に気づかれてくるのである。もはや、すべてが尽くされていて、もうどうにもならないというのを、嫌が上にもうすうす気づいているのである。 気づかざるを得ないのである。もはや、どうにもならないのであるということだけは、自分でもよく分かるのである。だから現実に背を向けて、自分の中に閉じてゆくのである。自分が自分であり続けるには、そうするしかないのである。 |
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