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しかしこれと対照をなすのが「キリスト教」である。象徴的なのが、「リンゴを食べてはならない」という、オキテを破るところから物語が始まるのである。これは、自分が生きて暮らしている秩序とオキテを、自分とは別のものとして見ている。それとは別の自律したものとして自分を見ている。 世界と自分とを別の者として見ている。習わしやシキタリ、習慣といったものを、自分とは別の外の世界から見ている。自分で自分を外から見ていて、そして自分のなかで自分が分裂している。 ここから、理性や合理主義といった、自分の中で抽象化された観念の世界が広がっていて、実践から切り離された、科学のための科学という純粋科学・基礎科学が成立する土壌がある。(東アジアでは、実践から切り離された純粋科学は成立しなかった) しかしまた、このようなキリスト教世界では、自分が自分に対立せざるを得ない。そしてまた、この対立こそが社会の発展と、その歴史の著しい傾向として現れている。 |
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