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それは現実を透かして見える向こう側の、あちらの世界を意味している。この「あちらの世界」とは、現実のシステムの外の世界である。現実の向こう側の異なるシステムの世界である。 自分というのが現実の自分と、そうではない観念的で空想的な自分とに分裂していて、苦しみというのが、際限なく繰り返されるというのが、自分自身の限りない永遠の精神の世界なのである。 ここにおいて、現実から切断されている自分を、自分で見つけなければならないという状況に置かれていて、そうした立場に自分が生きている。 そして、これこそが正に自分というものの「居場所」なのであり、そしてまた、二つとない自分の存在理由、かけがえのない世界にただ一つしかない、自分自身という存在の貴さとなっている。自分と他者とがここで区別され、境界線が敷かれ、自分の理由といったものが意識される。 |
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