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5、ルール。


自分のなかで自分を見つけるしかない、そうした立場に自分を追い込んでいる。あるいは、そうした精神の世界に、自分の安らぎと自分の良心といったものを見つけている。このような人間にとっては、自分というのはここにしか存在しないのである。

ここで見つけるしかないのである。そして、そうしたことが東洋の儒教世界には無いのである。あってはならないし、あるはずがないし、不要なもの、意味のないもの、ワケのわからない厄介でおぞましいもの、災いのタネと見られているのである。

そう考えるのが、この儒教社会のシステム、習慣や習わし、作法やオキテとなっているからである。こうして、自分の中に自律した自意識が存在しない以上、それは他人に求められ、他人の中に見つけられなければならないのである。

このような他人依存の関係の中においてのみ、自分というのが意識されているのである。そうして自分の理由や居場所といったものが見つけられるし、そしてまた、「信じる」ということが出来るのである。また他人に対しても、そうやって自分を信じてもらうことが出来るのである。そしてこれが、この社会のルールであり、根本原理なのである。



戻る。                    続く。


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