index< 日誌 < ag儒教 < 21-33「信仰」


3、純粋科学。


もしも、神というのを、自分のなかに住む自己意識だとすると、それは無限であって、際限のない空想の世界であって、現実から切り離された純粋の観念だけの世界、観念や意識そのものが自己目的化された世界である。

意識が現実から切り離されて独立し、一人歩きを始めるのである。意識すること自体が自己目的化し、純粋の「自己完結型」の世界を構成する。意識が現実から切り離されるがゆえに、答えが永遠にでて来ない。

そうした自己内循環型の無限軌道を描く。そうした無限追及型の世界を作り上げる。だからまたそれは、理解のための理解、意識のための意識といった、実用・実践とは無縁の世界なのである。しかしまた、だからこそ、思考のための思考といった、純粋科学や哲学といったものが生み出されたのである。

しかしまた、西洋の人間にしてみれば、これが人権であり、プライバシーなのであって、これを離れたところに、自己というのは存在しないのである。従ってまた、だからこそ、このような人権・プライバシーについては妥協しないのであり、妥協し得ないのであり、妥協できないのである。



戻る。                   続く。


index< 日誌 < ag儒教 < 21-32「システム」