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6、純粋科学。


このような、意識の自己目的化というのは、東アジア社会では見られない現象である。しかしまただからこそ、西洋キリスト教世界で、哲学や純粋科学といったものが発達したのである。

東アジア社会では、それ以前に自意識といったもが自然環境と一体化していて、そして、そこから「出る」ということがない。あくまでも実用的・実践的、そして直接的なのである。

あまねく科学といったものが、常に実用・実践と直結している。それは、科学というよりも芸能、技術というよりも技能に近いものである。従って、実用に結びつかない、基礎科学や純粋科学といったものは生まれなかったのである。



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