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これに対して「相同」は反対で、その機能やすがたカタチは違っていても、それらが共通の起源から発生しているのである。従ってまた、同じであることを示す、共通の器官の痕跡とその構造を現在に至るまで保持している。あるいは、少なくともそこから変化してきたものなのである。 コウモリの羽根、馬の前足、魚の前びれ、モグラのかぎ爪、それに人の手は、それぞれが機能とカタチが異なるけれども、同じ祖先の前肢から変化したものである。同じ骨の数と共通の構造を持っているが、その役割と機能がまったく異なるのである。見た目のカタチやその機能もまったく別のものに見えるけれども、本来は、同じ器官から発達し変化したものなのである。 相似と相同の違いは、ただ似ているのか、それとも本来同じ物なのか、という違いである。だからまた、見た目の外観だけでは分からず、歴史的な発生にまで遡(さかのぼ)って見なければ分からないのである。 要するに、 ・ 発生(出自)は別であるけれども、見た目のカタチと機能が似ているものを「相似」という。 ・ 発生は同じであるけれども、その機能やカタチが異なるものを「相同」という。 |
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