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これが「連合の原理」であって、要するに「偶然の錯覚」のことなのである。それぞれが別々の存在や出来事であるにも関わらず、それらが無意識の暗黙の内に、自分でも知らぬ間に互いに関連付けられ、認められ、何かしらの秩序や法則のようなものとして感じられているのである。 それは、見える現実の世界を、自分の中の、見えることのない観念の世界の中で理解しようとしているのである。 見えるというのは、それが、姿の類似性や共通性の世界であって、「相似」のことである。見えることのない世界というのは、観念の世界で抽象化された、原理や必然性といったもので、「相同」のことなのである。 しかしまた、このような相似や相同の異同、あるいは生物学的な「連合」の原理に拠らなくても、以上に述べたことは説明が出来る。 |
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