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2、営み。


恐怖に限らず、あらゆる感情といったものは、それだけではあり得ず、存在もし得ず、必ず現実的な身体的変化を伴う。たとえ夢の中であろうと、空想の世界であろうと、その中で見るイメージ自体は、自分の経験のなかで、自分がかつて体験してきたことの記憶に基づていたものなのである。

それが寝苦しさ、息苦しさ、「めまい」や冷や汗、震えや心臓の圧迫などとして現れてきて、それが自分の中で気分的な苦しさや楽しさとなって感じられているのである。

そしてそれ以前に、こうしたことは自分自身の中の、生理的および自律神経の営みの中で起こっていることなのである。また、このような営みが作り出した情緒の世界なのである。

そしてこのような営み自体が、数千数万年に及ぶかつての祖先の記憶がもたらしたものなのである。かつての祖先たちが生きてきた、その生理と神経の営みがカタチとなって受け継がれているのである。そしてその上で迷走と錯覚を繰り返しているのである。



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