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2、つながり。


また、他の言い方をすると、自分と周(まわ)りとの関係性が変わったからこそ、自己の内部で可能性や潜在的なものに過ぎなかったものが、表面に現れ出てきているのである。あらわになって出現してきているのである。それまでの自分のままでは居られなくなったのである。そうした必要が表面的な変化となって現れているのである。

そしてまた同時に、それら変化する時間的・空間的な繋(つな)がりのなかで、新たな関連性といったものが同時に必ず現れている。そうした関連性なしには、何も無いところから何かが始まるということがあり得ず、また、変化もあり得ないからである。

このような時間的、および空間的な関連性と繋がりの中でのみ、運動や変化といったもが存在し得るのである。

しかしまた、それはある意味で東洋的である。東洋医学がそうであり、日本画がそうであり、東洋的な思考のパターンがまたそうなのである。西洋的外科手術でなく、本人自身の内的な治癒力でもって回復を促す、といった方法がそうなのである。経験則の東アジアと、論理的な欧米という意味でそうなのである。それはまた、儒教とキリスト教の違いにも表れている。



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