index< 日誌 < s設定 < 22-05「きっかけ8:身体の記憶」p3 |
無意識に行われているということ自体が、はるか遠い昔に行われていた自分自身の、行為の記憶の蓄積された結果なのである。 あるいは始めは無意識に行われていたこと、あるいはまた、意識して行われていたことが、長い歳月の中で、いつしか自分でも気づかないまま無意識に習慣や常識となっているのである。 だからこれが自分でも意識されることがないのである。あまりにも当たり前のことに誰も関心をもったり、意識したりすることがないのである。だからまた、自分でもそれを意識することがないのである。 |