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11、生理。


そして、このような自分自身の表情といったものが、遅かれ早かれ自分にも相手にも意識され、また、お互いに対するコミュニケーションの効果としても知られてきて、自覚されてくる。そうして表情といったものが、行動や交渉、相互理解のための手段として利用されるのである。

コトバや行動以前に、このような肉体表面の微妙な変化でもって、相手の心の動きといったものを理解しようとするのである。また、それを知り得たとお互いに思えてくるのである。

これはコトバ以前の、より直接的で原初的なコミュニケーションのカタチなのである。そしてまた、自分自身の中の生きた情緒と生理の直接的な表現なのである。


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