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10、きざし。


そしてそれが単なる一時的な順序のズレとして、あるいはそれが一見関係がないように見えながらも、それが何かしらの行動へといざなう徴候や前兆しとして現れているのである。なぜなら、それが行為そのものを作り出す背景になっているからである。

身体内部の動きといったものは、それだけでは何も出来ずに、それが外へ出てくるためには、必ずそれ以外の部分の動きをともなっている。そしてこの直接に意図された動きが、それとは別の本来関係のない動きを誘発して、それが「表情」となって現れているのである。

それは肉体の内部から浮かび上がってきたところの、徴候であり、暗示であり、サイン(合図)なのである。


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