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2、意識。


そうやって思考が停止し、感覚的にも迷うことなく、ただ単に条件反射として処理されてゆくのである。そしていつしかそれ自体で自律した世界を作りだして、意識や思考の介入を困難にし、そしてまた、自分の意思に反してまでも、そうした行動を取るようになるのである。

そしてそれが忘れられ、気にもならなくなり、当然の当たり前のことのように思えてくるのである。それがラクだし、何も考えずに済むからである。合理的なのである。そしてそれが反復継続されて、日常化し、常識となっているのである。正義や道徳といったものがこれである。

そうする以外にないのである。自分自身の身体の感覚には限界があるのである。自分の肉体の感覚にも限界があって、そうして始めて成り立つ世界なのである。限界とは制約であり、条件なのである。

たとえば視覚は、聴覚や触覚と区別されてこそ、それが視覚として意識されているのである。また、自分の感覚と肉体も、それが他者と違うもの、他者と区別されてこそ、それが自分のものと意識されているのである。


戻る。                     続く。


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