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そうやって自分を維持し継続してゆくのである。そして正にこれこそが自分の現実のすがたなのである。それはもともと同じ者なのである。もともと同じ者が、すがたカタチを変えて現れては消えて行って、その表面だけを変化させながら、移り、映り、写ってゆくのである。 ふわふわ、ひらひら、ただよい、さ迷いながら、その表面的な見えるすがただけを変化させているのである。そして、その内実は何も変わらないのに、ただその見える外面だけが変化して見えるのである。それは見る者の動機と視点によって、様々な別の色に見えてくる玉虫色のようなものである。 見える現実の世界を通して、私たちは自分の中にある、感覚の感じ方を見ているのである。それは、自分自身の内なる世界が映し出した、外の世界の反射なのである。感覚が、自分の中から外に向かって何かを求めていて、そしてそれが、自分に向かって反射して映し出されているのである。 |
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