index< 日誌 < ao強制力 < 22-10「客観性」p8 |
生存競争を、現実を生きている当事者たる本人の立場から見ると、それぞれが自分の都合だけで生きている主観的な世界である。しかしこれを、当事者本人から離れて、外の世界からながめると、それは客観的な世界なのである。 客観とは、無限に拡がる主観の全体なのであって、それは当事者本人の意志や利害や事情とは無関係な、そしてまた、それが入る余地のない世界なのである。 客観的な立場に立つ第三者にしてみれば、当事者の主観が入る余地などなく、また、それは入って来てはならないのである。当事者の主観がはいってきた時点で、それは第三者ではなく、客観的でもなくなるのである。そしてこれが主観と区別される客観的な世界なのである。 しかしまた、だからこそ、それらの中の内的な因果関係といったもの、原理や必然性といったものが見えてくるのである。たとえば、フラスコ(試験管)の中で生きる者にとって、それがフラスコの中だと気づくことはないのである。フラスコから出て始めて、それがフラスコであると気づかされるのである。 |
index< 日誌 < ao強制力 < 22-10「客観性」p8