index< 日誌 < as同一性 < 22-11「同一性」P2 |
もう一つの、時間的にというのは、 自分が自分であり続けるということである。表面上の動きや姿の上で自分が変化し移ろいつつも、その内部の本質的なものは何も変わらずに、時代を超えて自分であり続けるということである。 生きている現実と、移り行く様々な場面において、無限の変化をくり返しつつも、常に自分が自分であり続けるということである。肉体は滅んでも精神は生き続けるということである。 もちろん、そうでない場合もある。自分が自分でなくなるのである。自分が、だれか別の者になっているのである。しかしそれもまた、そうして種としての人類が、あるいはまた、民族や国家というのが存続してきたのである。滅亡と消滅を逃れることができたのである。 あるいはまた、自らが滅亡を選ぶ場合もある。自分が他人になることを拒んだのである。奴隷になるよりも、死んで祖先のタマシイと共に生きることを選んだのである。 歴史上で消えて行った少数民族や先住民がそうである。しかしこれにしても、そうして自らを永遠の者として保存したのである。肉体が滅んでも、そのタマシイとして生き続けたのである。そうして、これもまた、自己の同一性なのである。 |
index< 日誌 < as同一性 < 22-11「同一性」P2