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このような世界では、個人は存在せず、集団の中に理没したままである。従ってまた、プライバシーも人権も人格も存在せず、そしてまた、そのような概念自体がない世界なのである。 すべてそうしたことは、自分の中の自己意識の欠落からきている。自分の中で自己意識が明確に自覚されておらず、自分の中で、現実の自分と精神の中の自分とが、明確に区別されず自覚されることもないのである。 それが自覚されずに済む世界を生きている。それが意識される条件も、その必要もない世界を生きているのである。あるいはまた、自分というのが、それが意識されないところでしか生きて行けないように出来ているのである。 このようにして、自分の中で公(おおやけ)に認められた自意識というのが決定され、自覚もされて、それに見合う社会的地位や立場といったものが押し付けられるのである。自意識というのが他人から与えられるのである。そうして、自分はその社会の一員として認められ、許され、そしてそのための生活スタイルが保証されるのである。 このようにして、普通の人、あるいは普通でない底辺の人として仕分けられるのである。つまり、要領の悪い者は、最底辺の者として見下され、蔑(さげす)まされるだけが取り柄の、何とも哀れで恥ずかしい人間として認定されるのである。 |
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