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発声が持つコミュニケ―ションの意味といったものが、群れの中で定められ、常習化し、その上さらに、このような機能そのものが群れの中で共有化され共通化されてきたのである。そしてそれが無意識の内に、何かを考えたり行動したりするときのスイッチ(合図)となっているのである。 しかしまた、このような営み自体が、自分が自分を意識する場面にもなっていて、そしてこれがコトバとして、個人同士や集団の中で意思を共有する手段になっているのである。 そしてこの時点で、人間の発する叫びやうめき声、つぶやきや、喜びや悲しみといった表情を伴う呼吸のリズムが、意識的な自分自身の表現手段になっているのである。それは自分で自分を意識していているのであって、これが言語の始まりではないだろうか。 |
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