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それにしても私たちはなぜ、他人の心情や気持ちといったものを知ることができるのだろうか。相手に対して何も話さないうちから、すでに何かを理解していて、それに対処しようとしているのである。 それはつまり、会話をする以前に、すでに何かしらのコミュニケーションが成立しているのである。コトバによる会話というのは、数あるコミュニケーションの手段の一つに過ぎないのである。または、その最後の結果に過ぎないのである。 顔の表情がそうである。動作や仕草の動きもそうである。あるいは呼吸が乱れたり、目つきが変わったり、血走ったり、視線を逸らしたり、うなづいたりするのもそうである。 |
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