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実は、そうした相手方の身体上の変化というものを、自分自身の身体の動きの営みから察したり、推測したり、予測したりしているのである。自分の中の身体の営みからそれが知られてくるし、理解もされてくるのである。 このような身体上の変化、その動きや身振りの変化というものは、それ自体が何かしらの感情の変化を表現していて、肉体内部の神経系や呼吸器、血液循環の日常性が破壊されて、それが肉体表面に現れ出て来ているのである。 意識されることなく、あるいは意志に反して、あるいはまた、意志に逆らってまで、そうした肉体の日常性の動揺が、身体表面の意味不明な動揺として現れているのである。 |
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