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それは肉体の構造の同一性からくる、生存の原理や営みの必要性がそれを知らせるのである。つまり、自分も相手も同じシステムの同じ種なのである。身体的にも、文化的にもそうなのである。それぞれが別の個体であるけれども、その中身は同じシステムを採用しているからである。 もちろん、これには勘違いや誤差もあるのであるが、しかしまた、この不揃(ふぞろ)いの誤差こそが個性というものなのであって、それ自体がまた、同一の種であることを証明しているのである。 つまり、個性と種の間の境界線を定めているのである。同一種であるからこそ、この種の中で変異や誤差や特殊性といった個性が成り立っているのである。そしてまた、認めることができるのである。 |
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