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4、共有と境界線。


身体内部の生理的システムが共通していて、それがどこかで共有もされているというのは、これが「同一の種」だからである。そして人間は、自分もまたそうであることを、相手に対して想像してしまうのである。そしてそれを誰よりも早く察知して備えることが、生きて行く上で求められているのである。

しかしまたなぜ、そうしたことが出来るのかと言えば、それはつまり、自分も相手も実は同じシステムを自分の内部に持っていて、その仕組みと機能において共有されているからである。そしてそれに基づいて、「自分たち」として生きているのである。

要するに、心の中というのが、互換性ある存在だということである。だからまた「あ・うんの呼吸」とか、「以心伝心」とか、「空気を読む」などといった、理解しがたいことが平気でおこるのである。自分と他人とのあいだの境界線が、どこかで壊れているのである。


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