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それは、外の世界を通して自分自身の中の、自分の感覚を見ているのである。自分自身の存在というのを、自分の中で見て、感じ、そして触れて、交流し合っているのである。自分で自分と交流しているのである。 たとえば、外の空の色が青いのがそうであるし、植物が緑に見えるのがそうであるし、太陽や炎の色が赤や黄色に見えるのがそうなのである。 それは人間と外の世界との係わり方を言っているのである。そしてこの係わり方といったものを、自分自身の行動や行為によってでなく、自分の中の感情や情緒として捉(とら)えていて、そしてそれを感じているのである。 そしてこれを印象や象徴として、そして何かしらの行為へのスイッチとして記号化しているのである。 |
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