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それが人間にとって、何らかの色として見えてもくるし、感じられたりするのは、その色が何らかの意味を持っているからであり、そうした必要から「色」というのが意識されてきたのではないだろうか。そしてこの意味とは、いままでその色が印象されてきた、経験と記憶のことなのである。 事実、古くから用いられてきた伝統色については、それが常に何らかの用途やその必要と密接に関連している。というよりも、そうした必要から「色」というのが認識されてきたのである。 また、古代語における色の概念は、色というよりも気分や、形状や、あり様まで含めた形容詞に近い使い方になっている。ミドリの黒髪、もゆる草原(草原が燃えているという意味でなく、燃えるように見える草原のあり様という意味)などという言い回しがそうである。 「利ざや」の色という言い回し、色気、音色などという言い回しもそうである。そしてこのような印象を人間は、「色」として言い表し表現してきたのである。 |
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