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だからまた、言い知れぬ不思議で不可解な、何かしらの暗示や比喩、符号やサインとしてしか思い起こすことが出来ないのである。そうして、失われた記憶の断片を辿(たど)って発掘してゆくのである。 そうした意識の届かない世界、無意識の暗示や印象の世界なのである。そうとしかならないし、また、そうしてのみ自分にそれが意識されてくるのである。そうした本能的で衝動的な世界なのである。 自分自身の中にあるにもかかわらず、自分の意識や思考を寄せ付けないのである。それは意識から自律した、意識とは別の世界なのである。それは意識から独立した、肉体の感覚だけが支配する世界なのである。そしてこれが情緒なのである。 そしてこの情緒から感情が浮かび上がってきて、そして意識や思考へとつながってゆくのである。またこの感情や思考の特徴といったものが、すでのこの情緒によって規定されているのである。 このようにして情緒とは、肉体の生理のことであって、それがまた現実の環境条件によって、あらかじめ方向づけられてきたのである。それはクセであり、傾向なのであって、民族文化の特質をあらかじめ決定づけているのである。 |
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