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5、自分で自分を見ている。


感情というのは、ある程度自分でも自覚できるし、そしてそこから因果関係を探り当てていって、そしてそれを「考える」といったことができる。なぜなら、感情というのは、たいていその対象が自分の外に存在するからである。このような自分と相手とのかかわり方に憤慨したり、喜んだり、憎んだりするからである。

ところが情緒といった場合、はっきりした相手は存在しない。それはむしろ、相手というよりも、自分自身の中の生理作用に対する反応だからである。自分で自分に対して反応しているのである。

だからまた、相手がいて、それに対して嬉しく感じるのも情緒なのであるが、それは直接に相手に対してそう感じるのではなくて、自分自身の中の情緒の働きに対して嬉しく感じているのである。

それは相手に対してではなく、自分で自分に対して嬉しく感じているのである。自分で自分に対して、これは好ましく歓迎すべきことで、それが何となく嬉しく感じられているのである。


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