index< 日誌 < aw色 < 22-29「色覚」p8 |
必要がないことは、思い出されることも、意識されることも、気になることもなく、ただ忘れられた不要のものとして、失われているのである。 このような見解は、個人的な思い込みの主観に過ぎないように聞こえるけれども、しかし、このような主観というのが数百数千年に渡って、現実の世界の中でくり返されることによって、それが主観から客観的なもののように固定化してゆくのである。 そしてこれが常識なのである。観念の世界の中で主観が固定して、それが周りにも共有され共通化されていって、それが客観的なものとして信念になるのである。 |
index< 日誌 < aw色 < 22-29「色覚」p8