index< 日誌 < aw色 < 22-29「色覚細胞」p8 |
感情といった場合、たいていその対象が存在する。また、それが存在し意識出来るから、それがまたガマンできず、感情的になるのである。 しかし、情緒といった場合、ある程度それが自分でも理解できるものだとしても、それがいったい何のことで、どうしてそういう感じや気分や気持ちになるのか、ハッキリしない場合が多い。だからまた、ただ気持ちよく、感じよく、あるいはまた、訳ももなく憂欝になったり、落ち着かなくなったりするのである。 それは、その原因や理由が自分にも分からないからそうなのであるが、それは、そうした感じの対象(または相手)が捉(とら)えどころのないものだからである。なぜか? それは、その原因や理由といったものが、直接見ることの出来ない自分自身の中にあるからである。 |
index< 日誌 < aw色 < 22-29「色覚細胞」p8